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私は小野伸二選手が好きですが中田英寿選手は嫌いです(2

200679

宇佐美 保

 

 今回のW杯の前、テレビ朝日の「報道ステーション」で中田英寿選手は、彼の「キラーパス」に関して、次のような発言をしていました。

 

 「キラーパス」と言うのは、サッカーのピッチ(グランド)では、幾ら大きな声で仲間に連絡を取ろうとしても(歓声にかき消されたりして)出来ないので、パスを使って会話しているのです。

そのパスが、「キラーパス」と言われているのです。

 

 このような説明で、司会の古舘氏は納得していました。

(そこで、私は中田選手の頭の良さに感心してしまうのです。)

 

 でも、私には、味方がレシーブ出来ないキラーパスで、会話しているとはとても思えませんでした。

会話ではなくて、チームメートに対して指令(叱咤)しているようでした。

キラーパス」が会話として成立する為には、日頃から、パスの受け手と気心が判り合える仲(一を聞いて十を知る仲)である必要があると思います。

 

 彼のキラーパスには心がこもっていないように、私は、いつも感じていました。

(だからこそ、彼ほどの実力を有していながらも、イタリアなどのサッカー界でも孤立して、活躍出来なかったのでは?とサッカーの門外漢の私は感じておりました。

チームプレー的要素がサッカーより少ない野球の世界でしたら、中田選手はイチロー選手同様に大リーグで活躍していたのかも?)

 

 しかし、小野選手のパスには、いつも小野選手の心が込められていると感じていました。

そして、小野選手のパスをいつも楽しみにしていました。

 

 報道ステーションで、更に、中田選手は語っていました。

 

 “外国の選手達は、日本の選手達のagility(アジリティー:機敏さ)を高く評価している”

と。

 

 それなら・・・と、次のように私は思いました。

 日本チームの面々に、中田選手の主張する試合時間中フルに走り回る走力を短期間の間に獲得させるのは困難な事です。

従って、今回のW杯では、選手達はピッチ全面を走り回らずに、彼らの機敏性を最大限に生かし、気心知った同士のパスを小さな動き(機敏さ:ちょこまかした動き)の中でも繋げて行き、最後には、得点力不足を非難されている日本のFW陣でも楽々とショート出来る小野選手からの優しいパスが得点に結びつく場面を夢想しました。

(なにしろこの作戦なら、(相手チームの消耗を誘いはしても)日本選手は昼間の炎天下での試合であろうと大して体力を消耗せず勝ち抜けたかもしれません。)

 

 事実、対オーストラリア戦の前に、トルシエ前監督の次の談話が、朝日新聞紙面に掲載されておりました。

 

 「相手はフィジカルの戦いを仕掛けてくる。それに負けないこと。
いかに速くボールを回せるか。

日本の長所であるテクニックと俊敏さ
、組織プレーをどれだけ前面に出せるか」

 

 トルシエ前監督も「日本の長所であるテクニックと俊敏さ」を認めており、これに彼が先の大会で実施した「組織プレー」を絡めて行く重要性を語っていたのです。

 

 ところが、W杯前のマルタ(FIFAランキング:125位)との試合が、10の辛勝であった原因は、日本チームの「仲良しクラブ的雰囲気」の悪影響だとの中田選手からの発言

 「まず走らなければサッカーはできない。気持ちの部分が足りない。それぞれが感じなければ、どうにもならない」(06年6月4日、親善試合マルタ戦)

があった為か、その仲良しクラブ(?)の中心選手であった小野選手の出番が無くなってしまいました。

(第1戦のオーストラリア戦では、試合の終わり近くに小野選手は投入されましたが、何故か、その後、日本チームは3点失ってしまい、それ以後の小野選手の出場は皆無でした。)

 

 そして、日本チームは、1勝も出来ずに予選リーグで敗退しました。

 

 ところが、その中田選手は、対ブラジル戦後引退を表明し、次のような文章を彼のホームページで発表したそうです。

 

おれは今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出すすべを知らなかったことそれにどうにか気づいてもらおうとおれなりに4年間やってきた。時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

 ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。おれがこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。正直、おれが少しでも何かを伝えることが出来たのか……。ちょっと自信がなかった。

 

 この文章からですと、中田選手は日本チーム、そしてその選手達のために4年間頑張ってきたのですから、日本チーム、そしてその選手達も、そして私達も彼に感謝の意を捧げなくてはならないように思われます。

 

 しかし、おかしいではありませんか!?

いわゆる、中田語録には、次の談話が紹介されています。

(次の「サンスポhp」から抜粋しました)

http://www.sanspo.com/soccer/top/st200607/st2006070402.htm

 

「W杯は何のために戦うかって? それは自分のためでしょう
(98年5月27日、目前に迫ったフランスW杯について)

 

 この言葉を中田選手は、お忘れになっていたのでしょうか?

8年前のW杯にも、今回の大会へ繋げる為の日本チームとして、又、そのチームの一員として全選手が、やるべき仕事があったのではありませんか!?

なのに、中田選手は“W杯は何のために戦うかって? それは自分のためでしょう”とあしらっていたのです。

それとも、今回の大会前に、中田選手はチームメートの前で、この言葉(態度)を反省して撤回していたのでしょうか?

 

 その上、前回のW杯で、予選リーグ突破がかなったチュニジア戦後には、更にとんでもない次のような発言を中田選手はしていたのです。

(この件は、先の拙文《トルシエ監督ありがとう》にも引用しました)

 

「これで“開催国として最低限の目標、使命を果たせた”ので、
これからの試合は、自分達の良いところを出して、楽しんでプレーしたい。」

 

 これでは、中田選手が監督のようではありませんか!?

 

 更に、先の拙文から次を転記します。

 

中田英寿は、01年6月のコンフェデレ−ションズカップの決勝戦を前に、
トルシエ監督の
「決勝も出てくれるか」との懇願を無視して
ローマへ帰っているのです。

そして、中田英寿は準決勝の直前に自分のホームページに、

 

 

 「公式大会で日本が優勝するチャンスであり、それが日本のサッカーにとって大事なことだとは、痛いほど理解しています。でも僕にとっては、それと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に、セリエAで優勝することは大切なのです。僕が日本人として、セリエAの優勝の瞬間にグラウンドに立つことは、この先の日本のサッカーのためにも、決して無駄ではないと思っています」

 

 

 と書いたそうです。

一方、 トルシエはフランスに敗れて準優勝となった大会後に

 

「これが欧州なら、中田英を二度と代表に呼ばない。呼べばほかの選手がボイコットするだろう。大事な試合を放って、自分だけの名誉を優先させるなんてエゴイストも甚だしい」

 

 

と語ったとの事です。

 

 

 更に、先の文から転記します。

 

また、岡田前監督もテレビで、次のようなことを発言していた記憶があります。

 

ロシア戦後、選手たちに会って話を聞いていたりした感じでは、
気のゆるみが感じられて心配だった。

 

 ところが、マスコミは、このような中田選手を非難する事は無く、今もって、先のW杯に於ける対トルコ戦の敗因をトルシエ前監督に押し付けるのです。

 

 例えば、朝日新聞(624日)には、次のような記事を目にします。

 

サッカージャーナリスト 後藤 健生氏

 ジーコ監督がプロのコーチでないことは、はなから分かっていた。

 02年日韓大会のトルコ戦のような負け方が嫌だからと選んだはずなのに、
豪州、クロアチア戦と同じような戦い方をしてしまった。・・・

 

 

ジーコが代表監督に就いた理由のひとつに、
4年前の日韓大会で敗退した雨のトルコ戦がある。
なぜ力を素直に発揮させてやらないのだ、という前監督への強い怒りだ
しかし、いま残るのは、あの時と似た不完全燃焼の違和感だ。 (潮智史)

 

 その上、中田選手の引退発表を伝える「報道ステーション」では、上に掲げた、「チュニジア戦後の中田発言」のビデオを流しながらも、その中田発言に対して、何のコメントも発していませんでした。

 

 更には、中田選手の「キラーパス」を次のように評していました。

 

 

敵の硬い守備陣営を、切り裂く、的確なパス

と。

 

 これでは、先の中田発言と共に「キラーパス」とは、最高のパスを意味することになります。

 

 しかし、週刊ポスト(2006.7.21号)には、次の記事が載っています。

 

中田は97年、初めてA代表に招集された。当時のチームは初のW杯出場を目指した戦いをしていた。

「あの頃は代表の中心メンバーにカズ(三浦知艮)や井原(正巳)」ゴン中山こと中山雅史らがいましたが、中田はそうした先輩に対してもお構いなしだった。

 合同練習のときから、お得意のキラーパスを出してはパスに追いつけないFWのゴンに対してジジイ、走れ!≠ニやっていた。それを耳にした年長の選手たちは、なんだ、あの野郎〃となるわけです。中田が帰った後で”塩まいとけ!〃という選手までいましたからね。もっともカズや井原も会ってすぐに呼び捨て状態。いくらピッチの中では上下関係がないとはいえ、あれはひどい。すごいヤツが出てきたものだと思ったものです」(スポーツジャーナリスト)

 

 こんな中田選手を又、キラーパスを美化してしまうテレビとは何なのでしょうか?!

そして、今以って、トルシエ前監督を批判し続けるマスコミとは何なのでしょうか?

 

先の拙文《私は小野伸二選手が好きですが中田英寿選手は嫌いです(1》にて引用させて頂いた谷口源太郎氏の発言からも、ある程度推測は出来たのですが、フローラン・ダバディ氏による「協会会長に「立候補」します」(朝日新聞:78日)の次の記述を見ると納得できます。

 

私は02W杯までの4年間、トルシエ監督のパーソナル・アシスタントとして日本代表の一員を務めた。

 私と監督は、協会やスポンサー、テレビ局などと衝突を繰り返しながら、代表の環境改善に取り組んだ。選手のコンディションより広告効果を優先させるスポンサーに監督が怒り、私を残して席を立ったこともある。アイドルを出演させて試合放送を盛り上げたいと言う民放関係者には「そんなものはサッカー文化の発展を害する」と言った。

 

 このようなトルシエ前監督の行動を私は知りませんでした。

テレビが紹介してくれた事はありませんでした。

新聞雑誌も報道してくれなかったと存じます。

 

 何故でしょうか?

ダバディ氏は次のように続けます。

 

見えたのは、商業主義という毒が日本サッカーを害していく様子と、強まる川淵会長の威光を恐れて批判を自粛していく関係者の姿だった。ジーコの4年間に、その傾向はさらに強まったように見える。Jリーグを創設した会長の功績は偉大だが、同じ人が権力のトップに長く座り続ける現状はやはり良くない。

 

 そして、驚くべき記事をサンケイスポーツ(75日)に見るのです。

 

 テレビ朝日の君和田正夫社長は4日、東京・六本木の同局で定例会見を行い、引退を表明した中田英について、「果たした役割、今後期待される役割は大きい」と持ち上げた。

 同局では3日の「報道ステーション」(月〜金曜後9・54)内で中田英のHP上のコメント全文や関係者が撮影した中田英本人のVTRを紹介。「サッカーにかける思いが伝わってきた。各テレビ、企業からアプローチが殺到しているのではないか。いろいろな人が中田選手の起用法に関心がある」と今後の動向に興味を示した。

 もちろんテレ朝としても、中田英はのどから手が出るほど契約を獲得したいキャラクター。スポーツキャスターとしてのオファーも各局から殺到しそうだ

 

 一体テレビ界の方々の頭はどうなっているのですか!?

(特に、小泉首相が登場して以来、「心の欠けた人間が大きな顔をする」ようになってきたようです)

 

 私達は、民間放送を無料で視聴しているのではないのです。

スポンサーがテレビ局へ払う広告料が、私達が購入する商品価格から捻出されている事は、当然ながら、それよりも何よりも、私達が放送する権利をテレビ局に委譲しているのです。

(テレビ局は政治家から委譲されているのではないのです!)

そして、私は、テレビ局が商業主義を推し進めず、使命感を全うすることを願っているのです。

 

「サッカーにかける思いが伝わってきた」と語るテレビ朝日の君和田正夫社長は一体どんな頭をしているのでしょうか?

 

 中田英寿氏は、「おれは今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。・・・」とホームページに書かれていますが、サンケイスポーツには、次期日本代表監督オシム氏の次の談話を紹介しています。

 

「もし世界チャンピオンになりたいなら別の監督を探してもらいたい」

 衝撃的な言葉で、真理を突いた。
日本人は自分たちがトップの仲間だと思っている
経済、政治はトップレベルだが、サッカーではそうではない。
勘違いだ」と、
サポーター、メディアを含めドイツW杯前に存在した楽観論に警鐘を鳴らし、
サッカー発展途上国と説いた。

 

 此処での、中田氏とオシム氏の談話で、どちらが真実かは、日本チーム敗退後、各国のプレーを見た私達は、誰もが中田氏見解を排除し、オシム見解を支持するはずです。

 

 それなのに今に至っても、中田氏に愁眉を送るテレビ関係者の心はどうかしているのではないでしょうか?!

 

 かつて(フランス大会前)「W杯は何のために戦うかって? それは自分のためでしょう」と公言していた中田氏が、日本チームのために尽力する?何故?

 

 週刊現代(2006.7.8号)の“中田英寿が「ジーコジャパン」を崩壊させた”の記事の中に次の記述があります。

 

「中田はピークをとっくに過ぎてしまった選手。実際、所属するボルトンから『来シーズンは推定2億円の年俸を3分の1にカットするなら契約する』と言われた。

実質的な解雇通告ですが、移籍先がまったく見つからない。しかし、現役を続けなければ数億円とも言われるCF契約も飛んでしまう。ですから、中田はこのW杯で選手としての存在感をアッピールし、もう一度世界のサッカーマーケットに自分を売り込もうと考えていたのでしょう」(前出・サッカージャーナリスト)

 

 では、何故中田氏の思惑通りに行かなかったのでしょうか?

 

上記の記述の前には、次のように書かれています。

 

ジーコ監督が就任して4年。ほぼ固定メンバーで戦ってきたチームが今になって空中分解を起こしたのはなぜなのか。あるサッカージャーナリストは断言する。

 「中田英寿がすべての元凶ですW杯は中田のせいで負けたようなものですよ」

 確かに、英プレミアリーグでC級クラブのボルトンでさえレギュラーではない選手が代表チームの司令塔というのも恥ずかしい話だ。

・・・

日本代表選手のひとりはこんなことを語った。

本当に代表が強くなるために、真剣に考えてくれている人なら厳しくても僕らは付いていく。でもあの人は結局、自分をいかに高く売るかしか考えていない

まったく信用できません」

 

この記述に私は同感します。

 

 そして、中田氏は次の結末を迎えたのでしょう。

(週刊ポスト(2006.7.21号)より)

 

この引退は避けられないものであったと見る向きもある。

「レンタル移籍先だったボルトンとの契約が終了した中田にとって、今回のドイツW杯は自分を世界のクラブに売り込むチャンスだった。しかし結果は惨敗。いくつかのクラブからオファーは来ていたものの、高すぎる年俸がネックとなり、彼が満足いくような契約を、どこも提示できなかったのでしょう。評価を下げてまで現役に固執したくない思いもあり、結局行き場所を失ったというのも、引退の一因だと思いますよ」(サッカージャーナリスト)

 

 中田氏が、本心から日本チームの為に尽力することを考えていたのなら、大会準備期間中はどんなにチームメートと遣り合っていても、ドイツに渡ってからはチームメートの心の統一を最重点とすべきだったはずです。

(サッカーは野球以上にチームプレーでしょう?!)

それには、譲歩が不可欠です。

 ところが、中田氏はチームメートの心をバラバラに切り刻んでしまったようなのですから、彼の本心は押して知るべしです。

 

 なのに、何故もっと早い時期に、このような中田氏非難が出てこなかったのか?!

悲しいことです。

それは、谷口氏の発言のように、中田批判を記事にしたら、只でさえ取材しにくい中田選手からの取材が困難になってしまうことをジャーナリスト達は恐れたのでしょう!?

(この点は、イチロー選手に対する取材も然りと存じます。)

 

 ですから未だに次のような記事を目にします。

(朝日新聞:628日)

 

 大会が進むにつれ、どこか頭の片隅にあるのは日本代表のことだ。・・・

 一番気になっているのは、選手に喜怒哀楽が感じられなかったことだ。プレーする喜び、勝ちたいという闘志、負けた悔しさ。他国の選手たちは暑苦しいぐらいにそれらを発散している。

 大会視察に訪れているJリーグの元監督は、チームがいくつかのグループができて一体感に欠けたことを「まるで今の学校と同じだ」と話していた。表面上は仲良しでも、感情をぶつけ合うことも、主張することもしない。行き着く先は「教育から変えていかないと」。選手である前の人間を作り出しているのは他でもない、我々の社会、文化、教育である

 試合後に選手の話を聞くミックスゾーンで、よく耳にするのは「誇り」という言葉。23人のサムライたちはドイツで誇りを感じたろうか。(潮智史)

 

 「チームがいくつかのグループができて一体感に欠けた」その第1原因は、中田選手の存在にあった事は明らかではありませんか?!

その件を今以って指摘もせずに、「教育から変えていかないと」と言うのでは、「愛国心教育の必要性」を掲げる森前首相と同じではありませんか!?

教育は学校だけでするのではありません!

気が付いた「大会視察に訪れているJリーグの元監督」自らも日本チームたちの中に入り込んで行うべきです。

その発言を聞いた潮氏自身も行うべきです。(紙面を通じてでも!)

 

 「選手である前の人間を作り出しているのは他でもない、我々の社会、文化、教育である」は、尤もなことです。

でも、そのために中田選手に真正面からぶつかっていったジャーナリストが居るのですか?!

中田選手を「孤高の人」、「クール」等の表現でジャーナリスト達は、崇めてきたのではありませんか!?

そして、この記事を署名入りで書いている潮氏はどうだったのですか!?

非難しても、差し障りが無いトルシエ前監督は非難していますが、中田選手をはっきり非難した事があるのでしょうか?

 

23人のサムライたちはドイツで誇りを感じたろうか」と書いている潮氏ご自身はジャーナリストとしての誇りをお持ちですか?!

 

 この23人には中田選手も入っていましょうが、文脈からいったら、(非難しても潮氏に対して害が及ばないと思われる)いわゆる仲良しグループと言われている小野選手達への非難と取られます。

 

 更には、先に掲げたダバディ氏が非難している「強まる川淵会長の威光を恐れて批判を自粛していく関係者の姿」を非難してきたのでしょうか?!

 

 そして、先の「週刊ポスト」には、次の記事も載っていました。

 

「初戦のオーストラリア戦、逆転負けで勝ち点3を失った翌日、練習中に小野は僚友の小笠原の肩を抱きながら、昨日はオレらの世代が出てたら勝てたな≠ニ不満をむき出しにしたと聞いてます」(前出・担当記者)

 

事実、中田選手抜きの国際試合でも、彼らは勝ちを収めていたと私は記憶しています

私は、小野選手の心優しいパスからの得点を夢見ていたのに残念で溜まりません。

そして、小野選手達の無念さは、私の無念さの比ではないはずです。

そして、このような小野選手達の不満をジャーナリスト達は真摯に汲み取って紹介してくれたでしょうか?!

 

 私は、イチロー選手や中田選手がプレーのみに専念しているだけなら、彼らに対して、こんな非難がましい文章など書かずに、彼らのプレーに愉悦の時を味わっているでしょう。

なにしろ、イチロー選手は武芸百般(?)の内の「棒球術」の、中田選手は「蹴球術」の名手なのですから!

 

しかし、マスコミは時代の寵児として彼らを取り上げ彼らからのメッセージを紹介します。

 しかも、彼らの発言を全く批判することなく!

彼らを英雄仕立てとしています。

 

 このような報道は、「愛国心教育」同様に又それ以上に、次の世代の方々に対して弊害となるのではありませんか!?

 

(私が、子供のとき憧れたのは、プロ野球の川上哲治選手の赤バットに対抗していた青バットで有名な大下弘選手でした。

その頃は、大下選手からの発言を目にも耳にもした事はありませんでした。

只、大下選手のような偉大な選手になりたいの一心でした。

しかし、数年前、『大下弘 虹の生涯 辺見 じゅん著(文春文庫)』を読み、大下氏の素敵な人間性に感動して、改めて尊敬の念を抱いております。)

 

 私は、ジャーナリストの方々も真のプロフェッショナルを心掛けておられるのなら、谷口源太郎氏の発言

 

 サムライではなく本当のスポーツ選手になるべき

・・・

 ナルシズムではなく、自己分析、自己批判、自己反省が出来るかが、プロフェッショナルなスポーツ選手にとって一番のポイントと思っている。

 

を彼らにぶっつ続けて欲しいものです。

その結果、彼らに嫌われて、彼らからのインタビューが取れなくなろうとも!

 

 

(補足:723日)

 以上は、2週間前に書き始めてから、あまり憂鬱な内容なのでずっと放って置きましたが、やはり書き上げてしまおうと思いました。

でも、やはり、一旦此処で切って続きは別の項目の中で取り上げたいと存じます。

 

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